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染羽天石勝神社(そめばあめのいわかつ)
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徳川将軍家から朱印地を寄進された

​神紋は葵の紋

 神亀2年(725年)に、大和の摂津から来てこの地方を開拓した、春日族の始祖天石勝命を祀った神社である。始めは、右奥の大きな一枚岩「注連岩」(しめいわ)と呼ばれる断崖を崇拝していた。延長5年(927年)の「延喜式神明帳」(えんぎしきじんみょうちょう)に列せられた式内社である。

 その後熊野十二柱を勧請し、承平元年(931年)別当寺の真言宗勝達寺を建立。七尾城主益田公より崇拝され発展した。江戸時代には、第4代将軍家綱公から御朱印地として社領60石が寄進され、その後第14代家茂公まで、将軍の代替わりごとに御朱印状を賜っている。

 本殿は拝殿とともに天正9年(1581年)の大火により焼失、その2年後に七尾城主第19代藤兼公、20代元祥公父子により再建された。

 

本殿:国重要文化財指定 

 檜皮葺(ひわだぶき)三間社流れ造りの社殿 桃山時代の特徴

 屋根には葵の御紋がある

 

注連岩(しめいわ)

  大きな一枚岩に注連縄を張り廻して崇敬したので、注連岩と呼ばれるようになった。 しめいわ→しめは→しみは(染羽)→そめは→そめば(染羽)→染羽町

 

瀧蔵山勝達寺 古義真言宗 高野山金剛峯寺の支院・正智院役寺・金剛院末寺

 承平元年(931年)、本地垂迹説の台頭により、淨蔵大徳によって天石勝神社の社 殿の西側高台に、当社の別当寺として建立された。明治の廃仏毀釈によって廃寺となった。

 勝達寺の本尊であった不動明王座像は鎌倉極楽寺に現存し、国の重要文化財に指定されている。

 益田市染羽町1-60

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