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萬福寺
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雪舟庭園のある寺
第2次長州戦争時、浜田藩本営となった寺

清瀧山 萬福寺 時宗道場   本尊 阿弥陀如

本堂:国重要文化財

雪舟庭園:国史跡名勝文化財(寺院様式須弥山風の庭園)国史跡名勝指定の雪舟庭園6カ所の一つ

二河白道図:国重要文化財 

書院襖絵:県絵画文化財

流仏三体像:市彫刻文化財

益田兼見公の墓:市史跡文化財

 萬福寺の前身は、平安時代に益田川河口付近(中須地区)に建立された五福寺(安福寺・福王寺・専福寺・妙福寺・蔵福寺)のひとつ、天台宗安福寺である。万寿3年(1026年)5月4日の大津波で五福寺はことごとく流出した。

専福・妙福・蔵福の3ヵ寺は復興が叶わなかったが、安福と福王の2ヵ寺は、その後小庵を建てて法灯を護っていた。元応9年(1319年)、遊行4代呑海上人がこの地に下向され、安福寺を時宗道場として再興した。

 南北朝時代の応安7年(1374年)、益田七尾城第11代城主益田越中守兼見(かねはる・かねみ)公が現在の地に移転して萬福寺と改称し、寺領31石を与えて益田家の菩提寺と定めた。

 文明11年(1479年)、第15代城主益田越中守兼尭(かねたか)公は、画聖雪舟を招いて堂後に石庭を造営させた。

 慶応2年(1866年)、第2次長州征伐・益田口戦争の際は、幕府軍浜田藩の本営となり、兵火のために総門は焼失したが、幸いにも本堂・庫裏はその類を免れた。本堂の柱には、今も当時の弾の跡が残っている。

 門前の天満宮は、崇仏敬神の念厚き兼見公が、萬福寺鎮護の神として建造したものである。

益田市東町25-33

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