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右田朝子(アサ)
日本眼科女医第一号

自分の眼球を研究のため病院に残した!

右田朝子(アサ)の生涯

明治4年(1871年)中吉田に生まれる。

 

明治10年(1877年)益田村右田隆康の養女となる。

17才で上京、明治21年(1888年)濟生學舎に入学。

吉岡弥生(東京女子医大創立者)、前田園子(明治35年日本医女会会長)、千坂竹子(津和野出身)は同期生であった。

 

明治26年(1893年)医術開業後期試験に合格22歳。

※女子が医術開業試験を受けることが出来るようになったのは、明治17年(1884年)からである。

 

明治31年(1898年)8月5日ドイツ留学を目前に長逝(肋膜心包炎=肺結核)享年26歳。

 

明治32年(1899年)「女医右田朝子之碑」を東京都北区田畑に建立。

題字は森鴎外と親交があった陸軍軍医総監 石黒忠徳

墓は益田市七尾町の暁音寺本堂裏の墓地にある。法名 艶誉蓮芳浄心大姉(えんよれんほうじょうしんだいし)。

右田朝子墓1.jpg
右田朝子の墓 暁音寺
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