益田元祥(もとよし)
益田氏第20代当主

あの徳川家康の誘いを蹴った!?

永代家老として、毛利藩の財政を立て直しその功により益田家は長州藩の永代家老となった。のちに牛庵様と慕われた。

永禄13年(1570年)家督を譲られる。毛利元就の次男吉川元春の娘と結婚。

益田元祥の事績

永禄元年(1558年)~寛永17年(1640年)

永禄1年(1558年) 生まれる。

永禄11年(1568年) 父藤兼と毛利を訪れた時に、毛利元就から「元」の字を貰い、元祥(もとよし)を名乗った。

天正5年(1577年) 将軍足利義昭から右衛門佐(うえもんのすけ)に任じられる。

天正10年(1582年) 本能寺の変、毛利軍と秀吉軍和す。元祥参戦。

​天正11年(1583年) 焼失した滝蔵権現(現 天石勝神社)を父藤兼と造営。

天正12年(1584年) 三宅御土居を改築。この時の絵図画が益田家文書に残る。

天正15年(1587年)  秀吉の島津征伐に出陣、豊前宇留津城攻撃で功績を挙げた。

文禄5年(1596年) 従五位下・玄番頭(じゅごいげ・げんばのかみ)豊臣姓を与えられる。

慶長2年(1597年) 慶長の役で朝鮮に渡り、蔚山城の戦いで功績。

慶長5年(1600年) 関ヶ原の戦いに、吉川広家とともに参戦(南宮山で動かず)

慶長8年(1603年) 徳川幕府成立。関ヶ原の戦いで敗れ徳川家康の大名にするという誘いを断って毛利長州藩須佐へ移った。

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鞍の虎の皮に注目
​益田氏は海洋領主であった証
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