妙義寺
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曹洞宗石見第一の古刹

第2次長州戦争時、長州軍の本陣と野戦病院になった寺

萬歳山 妙義禅寺 曹洞宗   本尊 釈迦牟尼佛

文永年間(1264年~1275年)に蔵叟を開山とする臨済宗妙義庵として創建された。

慶応2年(1866年)石州口戦争の折、村田蔵六(大村益次郎)率いる長州軍は、この寺を本陣と野戦病院とし、近世夜明けの舞台となった。

 文永年間(1264年~1275年)に蔵叟を開山とする臨済宗妙義庵として創建された。その後、応永元年(1394年)に七尾城主第13代益田秀兼(兼家)公が木叟を招聘して、370余石を寄進して曹洞宗に改め菩提寺とした。

 第19代藤兼公は、弘治年間(1555年~1558年)に長州大寧寺14世繁興存栄和尚を勧請開山とし、その弟子関翁殊門を中興として、末寺22ヵ寺を加え興隆させた。江戸時代には、この地方の寺院を統括する録所を務めた。寺域内の桜谷に藤兼公の五輪塔がある。

 慶応2年(1866年)石州口戦争の折、村田蔵六(大村益次郎)率いる長州軍は、この寺を本陣と野戦病院とし、近世夜明けの舞台となった。

 裏山の萬歳山には33所の霊場が開かれ、毎年5月に霊場巡りの法要がある。また、中国地蔵尊霊場二十番霊場・千体地蔵尊が安置されている。

 

十一面観音菩薩立像:市彫刻文化財 

 元観音町にあった観音堂の本尊。貞享元年(1684年)、薬種商紅屋初代中原六右衛門が、30坪の土地を求めて観音堂を建立。その後火災に遭い、2代目六右衛門が再興した際に本尊として寄進されたのが、この十一面観音菩薩立像である。

昭和43年に妙義寺に移された。

 

長州藩士の墓

 慶応2年(1866年)6月16日と17日に激しい戦いがあり、幕府軍〈浜田藩・福山藩)と長州藩で50人近い戦死者が出た。妙義寺乃木霊園には長州藩士4人の墓がある。その中の一基が乃木希典大将のおじにあたる乃木三蔵孝高(よしたか・行年22歳)の墓である。乃木大将も墓参に訪れたことがあるという。

 

七尾城主第15代益田兼堯公の銅像

江戸時代の貴重な石橋

 益田市七尾町1-40

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