益田氏第19代当主

毛利元就の居城 吉田郡山城(安芸高田市)を、和睦の御礼に訪問 刀剣・馬・虎の皮を贈り、料理を振舞うなど現在のお金で数億円を使い財力を印象づけた。

益田藤兼の事績

享禄2年(1529年)~慶長1年(1596年)

天文12年 街並みの整備をする。

 

天文15年(1546年)父 伊兼から正式に家督を継ぐ。

 

天文17年(1548年)将軍足利義藤(よしふじ、のちに義輝と改名)から「藤」の字をもらって藤兼を実名とし,治部少輔を通称とする。

 

弘治1年(1555年)毛利、陶氏を厳島にて討ち石見に進出する。

 

弘治2年 毛利軍進出に備えて、七尾城(益田城)を大修築する。このころ海外貿易の発展に努める。萩三島、福岡筑前に領土を持つ。

 

弘治3年 三宅御土居を改修する。吉川元春を頼り毛利氏に降る。

 

永禄5年(1562年)から毛利軍に従い尼子軍と戦う。品川大膳討死。

 

永禄9年(1566年)尼子義久毛利に降る。月山富田城開城、尼子氏滅亡。

 

永禄11年(1568年)子の次郎(のち元祥、当時11歳)を伴って毛利氏「吉田郡山城」へ出頭、鎧兜12、馬20頭、刀120振り、虎の皮などを贈り、数の子・昆布・鮎などでもてなす。(品書きが残っている。)

 

元亀1年(1570年)三隅高城落ち三隅氏滅亡。

 

天正7年(1579年)七尾城に1年間居住。

 

天正9年(1581年)曹洞宗に帰依とし、妙義寺の再興をはかり、翌年出家して大薀殿全鼎(だいおんでんぜんてい)と号す。

 

晩年 三隅の大寺(龍雲寺)に居住。

慶長1年(1596年)死去した。

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